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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)5911号 判決

甲事件原告・乙事件被告

甲野花子

(以下単に「原告」という。)

乙事件被告

甲野太郎

(以下「乙事件被告」という。)

右両名訴訟代理人弁護士

松井清志

松井千恵子

甲事件被告・乙事件原告

K観光開発株式会社

(以下単に「被告」という。)

右代表者代表取締役

杉本真一

右訴訟代理人弁護士

渡部史郎

主文

一  被告は、原告に対し、金一九八万六〇七七円及びこれに対する昭和五七年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  被告の原告及び乙事件被告に対する各請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用中、原告と被告との間に生じたものはこれを四分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とし、被告と乙事件被告との間に生じたものは全部被告の負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(甲事件)

一  請求の趣旨

1 被告は、原告に対し、金七三四万円及びこれに対する昭和五六年八月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(乙事件)

一  請求の趣旨

1 原告及び乙事件被告は、被告に対し、各自金二六万一六八〇円及びこれに対する原告については昭和六〇年五月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員、乙事件被告については同五八年五月一日から支払ずみまで日歩金一〇銭の割合による金員をそれぞれ支払え。

2 訴訟費用は原告及び乙事件被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 被告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

(甲事件)

一  請求原因

1 当事者

被告はゴルフ場の経営を業とする会社で、大阪府三島郡島本町尺代一二八番地に「新大阪ゴルフクラブ(島本コース)」を設置し管理占有するものであり、原告は右ゴルフクラブのキャディとして被告に勤務する者であつた。

2 本件事故の発生

原告は、昭和五六年八月二八日午前一〇時ころ、「新大阪ゴルフクラブ(島本コース)」第一二番ホール(以下「本件ホール」という。)においてキャディ業務に従事していたところ、同ホールに客として来ていた訴外松下宜且(以下「訴外松下」という。)の打つた第二打が左方へ飛ぶ引つ掛けボールとなり、左前方において待機中の原告の左足膝に当たりこれにより原告は左膝蓋骨骨折の傷害を負つた(以下「本件事故」という。)。なお、訴外松下にも過失のあつたことは認める。

3 本件事故発生の責任原因

本件ホールの状況は、概ね別紙見取図のとおりであり、フェアウェイとグリーンとの間に谷があり、しかもグリーンがその手前のフェアウェイよりも低いため(最大高低差約一〇メートル)、打者が第二打でフェアウェイから直接前方グリーンを狙つて谷越えで球を打つ場合には、打球が前方グリーン付近に落下したか又は右谷に落下してアウトボール(OB)になつたかの判別が打者の位置からは困難で、競技補助者であるキャディが打者の左前方である別紙見取図付近に位置してその判別をせざるを得ない構造になつており、被告は、原告に対し、打者が第二打で直接谷越えでグリーンを狙つて球を打つ場合には、打球の行方を確認するためにその旨の指導をしていた。

したがつて、被告は本件ゴルフ場の設置所有管理者として、打球からキャディの生命身体の安全を確保するため、本件ホールにおいて右打球の行方を確認するのに適当な位置に防御網を設置すべきであるのに、何らの措置も講ぜず放置してきたものであり本件ホールの設置に瑕疵があるから民法七一七条一項に基づく賠償責任を負担すべきである。

仮に然らずとしても、被告は原告の使用者として本件ホールにおいては打者の後方で待機するよう指導する等して雇傭契約上当然にキャディの生命身体の安全を図るべき安全教育をなすべき債務を負担しているのに、これを怠り、漫然と前記指導をしていたにとどまるから、右雇傭契約上の安全配慮義務に違背し、民法四一五条により、原告が本件事故により蒙つた損害を賠償すべきである。

4 損害

原告は本件事故により昭和五六年八月二八日から同年九月九日まで入院治療を受け、同年九月一〇日から昭和五七年一一月一三日まで通院加療を受け、同日症状固定となつたが、長時間の正座が困難となり、また階段を降りるに際し苦痛を感じるので、従前のキャディに復することは不可能となり、これによつて左のとおりの損害を被つた。

(一) 休業損害 一一五万円

原告の本件事故発生前四か月間の平均月額給与は一八万七五六〇円であり、昭和五六年九月一日から同五七年一〇月末日までの一四か月について、原告の平均賃金と労災給付金との月額差五万円の割合による七〇万円と、同五六年冬期、同五七年夏期及び冬期の三回分の賞与四五万円の合計額

(二) 慰藉料 一五〇万円

前記入通院分の慰藉料

(三) 後遺症慰藉料 六〇万円

(四) 逸失利益 三四三万円

労働能力喪失率二〇パーセント、期間一〇年、原告の平均賃金月一八万円、新ホフマン係数七・九四四九を乗じた数額

(五) 弁護士費用 六六万円

(六) 以上合計 七三四万円

5 よつて、原告は、被告に対し、主位的には民法七一七条一項の工作物責任に基づき、予備的には同法四一五条の債務不履行責任に基づき、損害賠償請求権として金七三四万円及びこれに対する事故発生の日である昭和五六年八月二八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び反論

1 請求原因1(当事者)の事実は認める。

2 同2(本件事故の発生)の事実は認める。

3 同3(本件事故発生の責任原因)のうち冒頭の事実は否認し、その余は争う。

本件ホールの構造からいえば、打者訴外松下の後方からも打球の行方の確認は十分可能であるし、同訴外人の左方には小高い場所があつて、同所からも谷先のグリーンが見渡せるのであるから、原告が敢て訴外松下の前方に出て打球の行方を確認する必要のある構造のものではなく、原告主張の位置に主張の防御網の設置は必要ではない。

さらに、グリーンの見えない位置からプレーヤーがショットする場合、キャディは目印になる樹木、鉄塔等を基準に方角を示せば足るのであつて、プレーヤーの前方にまで出てその方向を確認する業務上の義務はなく、被告は事故防止のためキャディに対しては自己はもちろん他のプレーヤーも打者より前方に出さないよう、万一これが必要な場合は必ず安全な距離をとり、又は樹木の陰に待避するよう指導しており、しかもキャディマスターが新規採用のキャディに対しこれら教育を行なつたうえ実際にラウンドをしながら事故防止の注意を与え、査定に合格した者のみ一人前のキャディとして客に同伴させていたのであつて、被告の原告に対する教育指導に不備はなかつた。

本件事故は、初心者であつて技量未熟な訴外松下の過失と、家庭内のトラブル等のため被告の指導を守らず漫然と就業し、同訴外人に第二打で谷越えを思い止まらせず放置してその前方に出たうえ、五〇メートルの至近距離に待機していた原告の重大な過失の競合により惹起されたものであるから被告には責任がない。

4 同4(損害)の冒頭の事実中治療経過と症状固定日時は認めるがその余は否認する。(一)ないし(五)の損害額については不知。

5 同5の主張は争う。

三  抗弁

1 過失相殺

仮に被告に本件事故による損害賠償責任が存するとした場合、訴外松下及び原告にも前記のとおり重大な過失があるから、損害額の算定にあたり過失相殺さるべきである。

2 損害の填補

原告と訴外松下との間で三〇万円の支払を内容とする調停が成立しており、原告は右金員を受領している。

3 相殺

(一) 後記乙事件請求原因1ないし4に同旨。

(二) 被告は、昭和六一年七月一一日の本件口頭弁論期日において、被告の原告に対して有する乙事件請求権をもつて、原告の甲事件損害賠償請求権とその対当額において相殺する旨の意思表示をなした。

四  抗弁に対する認否及び反論

1 抗弁1(過失相殺)の主張は争う。

2 同2(損害の填補)の事実は認めるも、主張は争う。

3 同3(相殺)のうち、(一)の事実に対する認否は後記乙事件請求原因に対する認否1ないし4に同旨。(二)の事実は認める。

五  再抗弁(相殺の抗弁に対して)

乙事件抗弁1(錯誤)及び2(詐欺)に同旨。

六  再抗弁に対する認否

乙事件抗弁に対する認否1及び2に同旨。

(乙事件)

一  請求原因

1 原告は、被告の経営する「新大阪ゴルフクラブ」のキャディとして勤務していたが、昭和五六年八月二八日から同五七年一〇月二〇日まで休職し、同日付で退職した。

2 被告は、右休職期間中、原告が本来支払うべき府、市民税及び健康保険料合計二六万一六八〇円を遅くとも昭和五七年一一月三〇日までに立替えて支払つた(以下「本件立替払」という。)。

3 乙事件被告は、昭和五八年三月一〇日、被告との間で、次のとおり、本件立替払に基づく原告の被告に対する求償債務について重畳的債務引受をなす旨の契約を締結した(以下「本件債務引受」という。)。

(一) 乙事件被告は、原告が被告に対して本件立替金合計二六万一六八〇円を支払うべき債務を負担していることを承認し、これを重量的に債務引受をなす。

(二) 乙事件被告は、右債務を弁済するため昭和五八年四月三〇日より毎月月末限り一回一万円以上の金員を支払ずみまで支払う。

(三) 乙事件被告が右支払を一回でも遅滞したときは当然期限の利益を失う。

(四) 乙事件被告が右支払を遅滞した場合には、被告に対し日歩一〇銭の割合による損害金を支払う。

4 原告は本件立替金を支払わず、乙事件被告は昭和五八年四月三〇日が経過しても本件引受債務を履行しない。

5 よつて、被告は、原告に対しては本件立替払に基づく求償請求権として、乙事件被告に対しては本件債務引受に基づき、各自金二六万一六八〇円の支払を求めるとともに、これに対する原告に対しては乙事件訴状送達の日の翌日である昭和六〇年五月二一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による、乙事件被告に対しては同様に同五八年五月一日から支払ずみまで約定利率たる日歩一〇銭の割合による各遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否(原告及び乙事件被告)

1 請求原因1(原告の休職)の事実は認める。

2 同2(本件立替払)の事実は否認する。

3 同3(本件債務引受)の事実は、乙事件被告において認める。

4 同4(原告らの不払)の事実は認める。

5 同5の主張は争う。

三  抗弁

1 錯誤(乙事件被告)

乙事件被告は、本件債務引受当時、真実は本件債務引受をなす意思がなかつたのに、被告から「会計処理上必要であるから形式的に書類を作成したい。支払はしなくてよい。」旨の申入があつたためその旨誤信し、債務承認及びその履行に関する約定書(乙八号証)を作成して本件債務引受をなしたものであつて、要素に錯誤があり本件債務引受は無効である。

2 詐欺(乙事件被告)

(一) 被告は、乙事件被告に対し、本件債務引受に際し、真実は異なるのに、前述のごとく会計処理上の形式的なもので支払はしなくてよい旨告げて乙事件被告を欺き、その旨誤信させたうえ、本件債務引受を締結せしめた。

(二) 乙事件被告は、昭和六〇年六月一四日の併合前乙事件第一回口頭弁論期日において本件債務引受を詐欺を理由として取消す旨の意思表示をなした。

3 相殺(原告及び乙事件被告)

(一) 甲事件請求原因1ないし4に同旨。

(二) 原告は、昭和六〇年六月一四日の併合前乙事件第一回口頭弁論期日において、原告の被告に対する甲事件損害賠償請求権をもつて、被告の乙事件請求権とその対当額において相殺する旨の意思表示をなした。

四  抗弁に対する認否

1 抗弁1(錯誤)の事実は否認し主張は争う。

2 同2(詐欺)中(一)の事実は否認し、(二)の事実は認める。

3 同3(相殺)中(一)の事実に対する認否及び反論は前記甲事件請求原因に対する認否及び反論1ないし4に同旨。(二)の事実は認める。

五  再抗弁

甲事件抗弁1(過失相殺)及び2(損害の填補)に同旨。

六  再抗弁に対する認否

甲事件抗弁1及び2に対する認否に同旨。

第三  証拠〈省略〉

理由

(前文)

本件においては、原告が当裁判所に甲事件を提起した後、被告が他の裁判所に乙事件を提起したところ、原告は昭和六〇年六月一四日の併合前乙事件第一回口頭弁論期日において被告に対し甲事件請求債権をもつて原告に対する乙事件請求債権(以下単に「乙事件請求債権」という。)と対当額で相殺する旨の意思表示をなし、他方、被告は右に遅れる昭和六一年七月一一日の甲、乙両事件併合後口頭弁論期日において原告に対し乙事件請求債権をもつて甲事件請求債権と対当額で相殺の意思表示をしたことが明らかである。

そして、かかる相殺の抗弁については、民事訴訟法一九九条二項において相殺の抗弁が採用され実体判断に立入つた場合にその自働債権の存否につき対当額の範囲で既判力が生じる旨規定されているのであるから、同法二三一条との関係で各相殺の抗弁を主張しうるかとの疑義が生ずるところではある。しかしながら、一般的に、本件のように、甲事件及び乙事件が併合され、同一訴訟手続において審理判断される場合には、判断の矛盾、重複審理は生ぜず(例えば、甲事件請求債権につき、甲事件請求又は乙事件における相殺の抗弁のいずれか一方において認容された場合には他方において排斥は免れないと解される。)、かえつて防禦方法である相殺の抗弁を先に判断することが当事者の合理的意思にも即するから、かような場合にまで右相殺の主張を不適法として排斥するには及ばないと解釈されるところである。

そして、原告の相殺の主張は被告の相殺の主張よりも先になされているので、まず前者から判断することになるが、そのことによつて被告に不利益を及ぼすこともない。よつて、結局甲事件の判断の前に先ず乙事件について判断することとする。

(乙事件請求原因の判断)

一請求原因1(原告の休職)及び同4(原告らの不払)の各事実は、被告と原告及び乙事件被告との間で、同3(本件債務引受)の事実は被告と乙事件被告との間で、それぞれ当事者間に争いがない。

二そこで、請求原因2(本件立替払)について判断するに、〈証拠〉によりこれを認めることができ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

三以上の結果、乙事件請求原因はすべて認められる。

(乙事件抗弁1及び2の判断)

乙事件抗弁2(詐欺)の(二)の事実は当事者間に争いがないところであるが、同1(錯誤)及び同2の(一)の各事実はこれを認めるに足りる証拠はない。

したがつて、乙事件抗弁1及び2は認められない。

(乙事件抗弁3及び甲事件請求原因等の判断)

前記のとおり、乙事件抗弁3(相殺)の(二)の事実(相殺の意思表示)は当事者間に争いがない。そこで、同(一)の事実すなわち甲事件請求原因及び再抗弁事実すなわち甲事件抗弁1及び2も便宜上一括して判断する。

一甲事件請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。

二そこで同3の事実について検討する。〈証拠〉によると、次の各事実が認められる。

1  本件ホールの概況は別紙見取図記載のとおり(昭和五七年一〇月改造され別紙改造見取図のように変更された。)で、真中に約一〇〇メートルの長さの谷が存在し、ティとフェアウェイは谷の手前側に、グリーンは谷の向う側に、谷を挾んで各存在するという構造になつているパー5のロングホールで、グリーンまでバックティからは四二一メートル、レギュラーティからは三七五メートルの距離がある。右谷はバックティから約三〇〇メートル前方に位置し、右谷に打球が落下するとOB(アウトオブバウンズ)になる規定になつていた。グリーンは左右二個から成つており(メガネ型)、日によつて左側のグリーンを使用したり右側のグリーンを使用したりしていた。ところで、本件ホールにおいては、ティとグリーンとの間には約一〇メートル、谷手前フェアウェイの縁とグリーンとの間には約六、七メートルのそれぞれ高低差がある(グリーンの方が低い。なおフェアウェイもなだらかな下り坂で右谷に向つていた。)うえ、グリーン手前の崖は樹木で覆われていた。そのため、ティからは勿論のことフェアウェイ上を谷手前まで相当接近した位置からでもグリーンはまつたく見通せず、また、谷手前フェアウェイの縁からはグリーンを見通せるものの右樹木の木先に妨げられてグリーンの全範囲を完全に見渡せるものではなかつた。もつとも、ティから約一五〇メートル余先の本件コース左側には小高いマウンドがあり(改造後にできた新しいマウンドよりティ寄りに位置する。)、その上からはグリーンはほぼ見通せる状態であつた。

かような本件ホールの構造から、通常は、第二打で直接グリーンは狙わず、グリーンの見通せる谷手前のフェアウェイ端部にボールを落下させ、第三打でグリーンを狙つて谷越えのショットをなし、二回のパットでパー5の規定打数をセーブするようになつていた。

2  ところで、キャディは各コースの特徴、コースの攻略法を習得していて競技者へアドバイスしたり、ルールやマナーを確認注意したりして客として来場する競技者に応待すると共に、競技者の身体の安全を確保することも重要な職務となつていたが、それと共に、競技を迅速円滑に進めるために、打者の打つ球の飛球ラインを確認し、OBか否かを判定し、OBでないとしたら打球の行方及び落下地点を覚えておき次の競技に備えるという競技者の補助もキャディの重要な職務の一つであつた。すなわち、一旦球が飛んでいる途中で目を放しあるいは打球を見失うと空中を飛んでいる打球を再度発見することは容易なことではなく、落球地点を見失うと次のゴルフ競技に支障をきたすことも多々ありえたからである。

3  さて、原告は、昭和五五年初めころ、被告経営の新大阪ゴルフクラブにパートのキャディとして、同年一〇月からは正社員のキャディとして採用されたものであるが、パートとして勤めていたころ、研修として、見習のため先輩キャディについてコースを回ったり、クラブの種類、飛距離、ルールをキャディ読本等で覚えたり、キャディマスターである訴外上農正人についてゴルフコースを実際に回る等して、キャディの心得を修得すると共に、打者の打つた球の行方を確認するための待機場所の指示を受けていた。その指示は、基本的には打者の前に出るなということであり、グリーンを見通せる場合には打者の後ろにいるのを原則としたが、見通しの悪い場合にはグリーンの方向を指図するため、またグリーンに打球が落下したか否か、落下位置を判定するために打球の行方が見やすい打者の前方で待機することを余儀なくされる場合もありうるので、その場合には打者との間に充分な安全距離を保ち、又は、防禦網があればそれに、樹木等の遮へい物があればそれに身を隠して安全を確保して待機するようにということであつた。そして実際に、本件ゴルフ場のアウトコースには防禦網の設置されたコースもあつた。その後さらに実習として先輩キャディについて回つたが、その際にも先輩キャディより待機場所の指導を受けた。かような研修期間の後、原告は、被告の査定を受けて一人前のキャディとしてキャディ業務に就いた。

さて、本件ホールでは、前述のとおり、第二打で谷手前に打球をコントロールして第三打でグリーンを狙うのが一般的であつたし、競技者にはそのようにすることを勧めるようにとの指導もなされていたが、なかには第一打の飛距離が長く、谷手前あたりにまで打ち、第二打で直接谷越えてグリーンを狙う打者もあり、本件ホールは、第二打で直接グリーンを狙えるか否かが一つの大きなコースの特徴になつており、ゴルフゲームの勝敗にも影響し、また競技者の関心をそそる点でもあつた。前記のとおり、本件ホールでは第二打の場所(第一打落下地点)からグリーンが見通せない場合もあり、そのような時は、実習の際に原告を指導した先輩キャディらも打者の左前方で待機することにしていたが、本件ホールには防御網は設置されておらず遮へい物となるべき樹木もなかつたため、打者との間に相当な距離を保つべく、谷のすぐ手前左側あたりで待機していたものである。そして原告も、先輩キャディに倣つて、(一)グリーンの方向(特にグリーンは日毎に左右いずれか一方に変更されること前述のとおり)を指示するため一旦打者の地点とグリーンとの直線上に立つてグリーンの方向の目安を打者に示し、(二)打球の行方が十分確認しうる地点であるフェアウェイ左側の谷のすぐ手前左側あたり(別紙見取図地点付近)に走つて行き、(三)打者に打ての合図をして注意深く見守り、(四)さらに打球の行方を追つてフェアウェイ中央まで走つて行き、OBか否か、打球の落下地点の大体の見当をつけておくという手順で競技者補助等の職務をなし、この点についてはもとよりキャディマスターや先輩キャディからそのような方法は危険であるから避けるようにとの注意を受けたこともなく、また、他のキャディもかような手順で職務をなしていた。

なお、前述のとおり本件ホールではコース左側に小高いマウンドがあり、そこからのグリーンの見通しは良かつたものの、前記の谷のすぐ手前左側あたりの位置に比べるとグリーンを遠望することになるうえ、前記の手順からすると、谷のすぐ手前までの距離が長い関係上、打球の行方を確認するには難があり、原告も被告側から右マウンド上で打球確認するよう指示を受けたことは一度もなかつた。

4  本件事故当時、訴外松下の第一打は約二五〇メートルほど飛び、フェアウェイやや左寄り、谷の縁から約五〇メートル手前の地点(別紙見取図地点付近)に落下した。右落下地点からグリーンまでは約一五〇メートルくらいの距離で場合によれば第二打でグリーンに届く距離であつた。原告は一応スプーンクラブを渡して谷手前に第二打で球を持つていき第三打でグリーンを狙うよう勧めたが、訴外松下は「第一打でこれだけ飛んだのだから第二打で絶対に飛ばしてみせる。」旨原告に告げて第二打でグリーンを直接狙うことにした。原告は、訴外松下の技量にさほど問題があるとは感じていなかつたので、訴外松下の意向に従つた。しかし、訴外松下が第二打を打つた地点からはグリーンが直接見通せなかつたので、原告は前記のとおり、右地点からグリーンまでの直線上に立つて訴外松下にグリーンの方向を示した後に、訴外松下の左前方にあたる谷のすぐ手前左側別紙見取図地点で待機し、訴外松下に打ての合図をした。右地点と地点との距離は約五〇メートルほどあつたが、訴外松下の第二打は力あまつて引つ掛けボールになり、低くワンバウンドして原告を直撃し本件事故が発生したものである。

5  なお、現在本件ホールには、谷手前の崖縁左側に、高さ一・四メートル、幅〇・五メートルの金属製の防御網が設置されている。

およそ以上の各事実が認定でき、〈証拠〉中右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

ところで、民法七一七条における「土地ノ工作物」とは、土地に接着して人工的作業を加えることにより成立した物をいうべきところ、ゴルフコースは自然の山林、原野の樹木を伐採しあるいは樹木を植えつけ、自然の傾斜を切りくずし又は造成し、さらには障害物を構築して、自然の地形環境を有効に利用し、人工的手法によつて、ゴルフ競技者の興味を満喫させるために土地に加工を施したものであり、本件ゴルフコースもまた同様であることが明らかであるから、本件ゴルフコースが土地の工作物であることは言を俟たない。

かかる土地の工作物であるゴルフコースにおいて、キャディがその職務を遂行するべく競技者の打球の行方とその落下地点を確認するために、打者が打つ地点と狙う地点との方向、その距離及び高低差、また近辺の障害物の配置等により必然的に打者より前方に出ざるをえない構造になつているホールであつて樹木等の遮へい物もないところでは、ゴルフ競技中の打球衝突事故が発生することは見易い道理であり、右職務を遂行しようとするキャディの生命身体に対する安全確保のため防御網等の保安設備が設けられるべきであり、かかる設備を設けていないホールを含むコースはそれ自体土地の工作物の設置に瑕疵があるものということができる。

これを本件についてみれば、本件ホールは、プロゴルファー等でない一般の競技者にとつても第二打で直接グリーンを狙える構造になつていたうえ第二打の地点からグリーンを直接見通せない範囲が存在し、しかもキャディはその本来的職務を行うためには打者の前方に出て打球方向及び落下地点の確認をせざるをえないのであるから、キャディの生命身体の安全確保のため防御網等の保安設備の設置の必要があるものといえる。然るに、本件事故当時、本件ホールは右保安設備が何ら設置されていなかつたのであるから、本件ホールの設置に瑕疵があつたものといえる。

以上のとおりであり、本件ホールには民法七一七条にいう土地の工作物の設置の瑕疵が存在し、これによつて本件事故が発生したものといえ、被告は本件ホールを設営所有し管理占有する者として本件事故により原告の蒙つた損害を賠償すべきである。

なお被告は、本件事故発生は技量未熟な訴外松下の過失及び(一)同訴外人に第二打で谷越えを思い止まらせず、かつ、(二)五〇メートルの至近距離に漫然と待機していた原告の重大な過失の競合により惹起されたから被告には責任がないと主張するところ、訴外松下に過失のあつたことは当事者間に争いないし、また右(二)の点で原告にも多少の過失のあつたことは後記認定のとおりではあるが、そうだからといつて被告に責任がないということはできない。なお、右(一)の点については前記4で認定のとおり原告は訴外松下に技量上の問題があるとは感じていなかつたうえ、一旦は訴外松下に第二打での谷越えを再考するよう勧めたが、客である訴外松下が敢て第二打でグリーンを狙うと決断した以上キャディにそれを制止するまでの義務はないというべきであるから、右につき原告に過失があるとはいえない。

別紙 改造見取図

別紙 見取図

三さらに請求原因4について検討するに、原告は本件事故により左膝蓋骨骨折により昭和五六年八月二八日から同年九月九日まで入院し、その後同五七年一一月一三日まで通院治療を要し、同日症状固定となつたことは当事者間に争いがなく、右事実に、〈証拠〉を加えて判断すると、次の各事実が認定でき、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

1  原告は右症状固定後、左膝関節においては動揺関節、関節運動制限もなく骨形成は良好ではあるが、なお関節痛を残し、現在においても長時間歩行したり階段の昇降時には左膝蓋骨下端部に疼痛があること(ただし、原告は労働者災害補償保険法上の後遺症認定を受けていない。)。

2  原告の本件事故前四ケ月の給与は、

(一) 昭和五六年四月分 一六万一七〇〇円

(二) 同年五月分 一九万〇七四〇円

(三) 同年六月分 二一万五九五〇円

(四) 同年七月分 一八万一八五〇円

であり、右給与の平均額は月額一八万七五六〇円となること。さらに、原告は被告勤務時において各年の夏期及び冬期において夏期には約一五万円、冬期においてはシーズンオフであるためこれより若干少ない額を賞与として受領していたこと。

3  原告は、昭和一五年九月二二日生まれで本件事故時四〇歳であり、右事故後早くとも同五七年一〇月末日まで本件事故による傷害治療のため就労できなかつたが、その間労働災害給付金月額約一三万円を受領していたこと。

4  原告は、昭和六〇年八月二一日から現在に至るまで訴外第一建築サービス株式会社にホテルメイド(清掃員)として就職しているが、月収はキャディをしていた頃より相当低くなつていること。

5  原告は、本件訴訟手続遂行のため弁護士たる原告訴訟代理人に委任したこと。

以上の事実が認められるところ、これを前提にして、原告主張の損害額について検討するに、以下のとおり認めることができ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

1  休業損害 認定額 一〇五万円

原告の事故前の給与は月額平均一八万七五六〇円であるところ、労働災害給付金月額約一三万円の給付を受けていることから、その差額は原告主張のとおり月額五万円を下ることはなく、本件事故の傷害治療のため無収入であつた昭和五六年九月一日から同五七年一〇月末日までの一四か月間休業を余儀なくされたことも原告主張のとおりであるから合計七〇万円の給与所得を逸失している。また同五六年及び同五七年の各冬期賞与を各一〇万円、同五七年夏期賞与を一五万円を相当と考慮し合計三五万円の賞与分も右逸失利益に加算されるべきである。

2  入通院慰藉料 認定額 九〇万円

原告は本件事故による傷害治療のため入院一三日間、通院約一四か月の治療期間を要したため、かかる入通院慰藉料は九〇万円をもつて相当とする。

3  後遺症慰藉料 認定額 六〇万円

原告の症状固定により左膝関節の運動制限はないが、右運動時に疼痛が伴う後遺症が残つていることから、これに対する慰藉料は六〇万円が相当である。

4  逸失利益 認定額 六一万三九八二円

右の症状固定による後遺症は、医学的に動揺関節の所見がなく左膝関節の運動制限が証明されていないことから下肢の機能障害は認められないが、左膝関節運動に伴つて疼痛が生じることから、その神経学的症状こそ立証されてはいないものの原告の疼痛の訴えは故意に誇張されたものと言うこともできないので、局部に神経症状を残すものとして労働能力は五パーセント喪失したものと認めるのが相当である。したがつて、労働能力喪失率を五パーセント、その期間を症状固定した昭和五七年一一月一三日から七年間、原告の平均給与月額一八万円とし、新ホフマン係数(月別)六八・二二〇三(本件事故時から昭和六四年一一月一二日までの係数から本件事故時から症状固定した昭和五七年一一月一二日までの係数を控除したものの控え目な近似値)を乗じた金額六一万三九八二円(円未満切捨、以下同様)をもつて逸失利益とするのが相当である。

なお、以上の認定損害額の合計は三一六万三九八二円となる。

5 抗弁1(過失相殺)について検討する。前記甲事件請求原因の判断二で認定した各事実を前提に判断すると、本件事故発生地点は確かに訴外松下の打球の行方と落下地点を確認するためには最も便利な場所であつたが、原告は、訴外松下よりも前方に出ており、しかも約五〇メートルの距離しか保つていず、これ自体危険を伴うこと、訴外松下が直接グリーンを狙つて第二打を打つため相当力を入れる必要があり、かような場合には引つ掛けボールとなる可能性のあること、そして、引つ掛けボールになつた場合にはその打球が飛んでいく射程範囲内にあることのいずれをも十分認識しえたはずであるから、自らも危険を避けるため訴外松下の打つ体勢及びその打球を十分注視し、引つ掛けボールを避けるべく細心の注意を払うべきであるのに地点を安全と過信してこれを怠り、他のプレーヤー二名が自己の付近で待機していたのにこれをも放置し、従つて訴外松下の第二打が引つ掛けボールになつて原告の方向に飛んできたのを予想外のこととして反応が遅れたことも本件事故の一因となつていることが窺われる。したがつて、原告の右過失が本件事故の発生に幾分寄与していることは明らかであり、その過失割合は三割をもつて相当とする。したがつて、右過失相殺の結果、認定損害額は二二一万四七八七円となる。

被告は更に過失相殺事由として、原告には訴外松下に第二打で谷越えを思い止まらせなかつた過失があり、また、同訴外人にも過失があると主張するところ、前者の点は理由がないこと先に判断したとおりである。後者の点については、同訴外人に過失のあつたことは当事者間に争いがないので、本訴においてはこれを前提に判断するに、前記二認定によれば、同訴外人が被害者たる原告側に属するとはいえず、むしろ被告と共同不法行為者の関係に立つというべきところ、共同不法行為はいずれも被害者に対しては全額の損害賠償責任を負うべきものであるから、同訴外人に過失があることを理由に過失相殺をいう被告の右主張は理由がない。

6  抗弁2(損害の填補)について、訴外松下が原告に対し本件事故に関連して成立した調停に基づき三〇万円を交付していることは当事者間に争いがない。

7  弁護士費用 認定額 二〇万円

以上1ないし6によると、原告が被告に請求しうべき損害賠償額は一九一万四七八七円であるところ、本件事故及びその後の経緯、事案の難易、請求金額、請求認定額その他諸般の事情を考慮すると、原告の要する弁護士費用のうち被告に負担させるべき相当額は二〇万円である。

四よつて、被告は原告に対し不法行為に基づく損害賠償債務として二一一万四七八七円及びこれに対する昭和五六年八月二八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。そこで相殺の結果をみるに、乙事件における被告の原告に対する求償債権二六万一六八〇円は、少なくとも最終立替日すなわち昭和五七年一一月三〇日には弁済期の到来を見るので同日相殺適状が生じ、原告は同日現在甲事件における原告の被告に対する損害賠償請求権二一一万四七八七円及びこれに対する同五六年八月二八日から同五七年一一月二九日まで年五分の割合による遅延損害金一三万二九七〇円の請求債権を有するから、右遅延損害金、元本の順に乙事件請求債権二六万一六八〇円に充当すると、原告の被告に対する損害賠償請求権は、一九八万六〇七七円及びこれに対する同五七年一一月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で残存するが、乙事件における被告の原告に対する求償債権等及び被告の乙事件被告に対する引受債権等はいずれも消滅したことになる。

(結論)

以上のとおりであつて、乙事件における被告の原告及び乙事件被告に対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、甲事件における原告の被告に対する損害賠償請求は、一九八万六〇七七円及びこれに対する昭和五七年一一月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官古川正孝 裁判官渡邉安一 裁判官川口泰司)

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